患者の達人
2012年スマイル春号
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。
旅行やノルディック
ウォーキングも!
アウトドアな趣味にもどんどんチャレンジしたい

井下 和彦さん(65歳)
- PD歴:1年10ヵ月、北海道
- 医療法人仁友会 北彩都病院
ご夫婦で道内の旅行に行くのがなによりの楽しみ。北海道上川郡の「天人峡 羽衣の滝」にて。

ビデオメッセージ
保存期の食事制限の後、APDを導入「こんなに食べられるの?」と驚き
井下和彦さん(65歳)は、奥様との2人暮らし。ご夫婦で旅行を楽しむなど、アクティブに過ごしてきましたが、50代後半、職場で行った健康診断で、腎臓の機能が悪いことが突然、判明しました。「自覚症状は全くなかったので、ただ驚きでした。ただ、毎日かなりの量のお酒を飲んでいましたし、締めにラーメンなど、塩分の高いものを食べることもしばしば。今思えば不摂生でしたね。母が腎不全で亡くなっているという遺伝的な要素もあったのかもしれません」。
検査と治療を受けていた音威子府村(おといねっぷむら)の病院から北彩都病院を紹介され、本格的な保存期の食事療法がスタート。実は、井下さんにとって、治療で最も辛かったのが、この時期だったと振り返ります。「保存期は食事制限が厳しかったんです。その厳しさに比べると、夜間に行う腹膜透析(APD)を導入してからは、制限が減り、『こんなにいろいろ食べられるの?』と、驚くほどですよ」。 また、保存期の食事制限で、いちばん大変だったのは、二人三脚でサポートしてくれた奥様だそう。「栄養学の本を買ってきて調べつつ、毎日の食事すべての食材、量などを計算して、A4サイズのノートにぎっしり記録してくれました。1日中私の食事管理に追われていたと思います。なんとしても妻の負担を減らしたいという思いはありました」。
1年に3回は旅行へ 旅先での治療もいつも通り

腹膜透析を導入したのは、約2年半の食事療法を経た2010年4月。定年退職後のことです。「導入が決まったときも、穏やかな気持ちでしたね。将来的には透析を受けることになるとわかっていましたし、インターネットなどでいろいろ調べていたので、通院が楽で、『自分でできることは、自分でやりたい』という希望から、夜間にできるAPDなら、自由な時間が多くて便利だと思い、迷いはありませんでした。器械の操作は簡単ですし、困ったことがあれば、いつでもすぐに(24時間対応の)コールセンターが対応してくれるので安心です。いざAPDを始めてみると、生活サイクルも、予想以上に変化がなく、以前と全く同じと言っていいほど変わっていないんですよ」と笑顔がこぼれます。
さらに、ご夫婦の共通の趣味、旅行も可能だと主治医の先生に聞いていたことも、APDを選択した決め手の1つだったそうです。「透析を始めてからも、1年に3回くらいは、北海道内で旅行をしています。私自身の運転で、車にAPDの器械を積んで夫婦で行ったり、娘が連れていってくれたりもします。もちろんホテルや旅館の人に事前に連絡して説明をしていますが、旅先でもいつもと変わらない治療ができています」。旅行の楽しみの1つは、食事。旅先でも、食べたいものを全て我慢するのではなく、ホテルや旅館のバイキングを利用し、自分の身体と相談しつつ、選んで楽しむ食べ方を実践されているそうです。
ノルディックウォーキングも 趣味にカメラで野鳥を撮りたいという夢も

病気を患ったことで、自分の身体を見つめ直し、健康に関心を持つようになったことも、良い変化の1つだそう。「妻がボランティアで出かけて不在となるお昼がたまにあるんですが、それは私が料理にチャレンジできるチャンスなんですよ。冷蔵庫にある材料を見て、何を作ろうか考えます。たとえば、ほうれん草があったら『カリウムを少なめにするために茹でこぼしして使おう』とか、いろいろ考えながら工夫するのも楽しいですよ」。
健康のため、また楽しみとして、新たに夫婦で『ノルディックウォーキング』にも挑戦しています。「2本のストックをつきながら歩行するエクササイズで、四季折々の自然を楽しめることが魅力です。夫婦で朝晩合わせて1万歩ぐらい歩いています」。
井下さんが今後チャレンジしたいのは、一眼レフカメラを持って、音威子府の自然を撮って歩くこと。「音威子府は自然が豊かで、美しい野鳥もたくさんいます。この環境を活かして、オジロワシなど、野鳥が飛び立つ瞬間をぜひ撮影してみたいんです」。ご自分の身体との上手な付き合い方を見つけた井下さんの毎日は充実していて、ますます夢が大きく広がっています。
