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患者の達人

2015年スマイル夏号
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。

旅館の仕事から趣味のゴルフまで
今まで通りの生活を

患者の達人

星野 武士さん(50歳)

PD歴:5年半
医療法人相生会 西片貝クリニック

尾瀬武尊高原で「慶信館(よしのぶかん)」という旅館を経営する星野さん。透析が必要と医師から言われた時は「仕事を辞めなければいけないのでは」と不安になったそうです。今はすっかりPDが生活の一部になり、仕事に趣味に充実した日々を送っています。

自宅で治療できて仕事も続けられると知り迷わずPDを選んだ

慶信館は、1964年に星野さんのおじい様が開業した歴史のある旅館です。その後をお父様が継ぎ、星野さんで三代目となります。「いろいろな人と出会えることがこの仕事の魅力」と語る星野さんですが、最初は跡を継ぐことは考えていなかったそうです。しかし、「自分が継がないと慶信館がなくなってしまいますし、父の手伝いをするうちに自然と続けていこうと決めました」とふり返ります。

スキー客向けの宿として開業した慶信館は、現在は子どもから大人まで、スポーツの合宿客などが多く利用する旅館となりました。繁忙期には最大100名の宿泊客を迎え、奥様の美幸さんと忙しい日々を送っています。

星野さんの腎臓が悪いとわかったのは20代後半でした。交通事故で入院した病院で血液検査をした時に、医師から腎臓の数値が悪いことを知らされます。「自覚症状は全くありませんでしたが、今考えてみると、小さい頃から人より疲れやすかったように思います。でも運動は好きで普通にやっていましたね」と当時を語ります。

腎臓が悪いとわかってから、10年ほど薬を飲んでいましたが、2009年に医師から透析が必要と告げられました。「透析と聞いた時はショックでしたね」。当時は血液透析(HD)しか知りませんでしたが、主治医から腹膜透析(PD)があることを教えられ「自宅で治療ができて仕事が続けられるのなら」と、その場でPDを選択したそうです。

PD導入直後は、決められたバッグ交換の時間をとても気にするあまり、出かけるのが億劫になってしまったことも。看護師長が「そんなに神経質にならなくても大丈夫」と声をかけてくれたのがきっかけで、気が楽になったそうです。最初はカテーテルの位置異常で排液がうまくいかなかったり、バッグ交換時に操作を間違えてしまったりしたこともありましたが、しだいに慣れて「今ではすっかりPDが日常生活の一部になりました」と話します。

右から若松良二先生、星野さん、今泉俊子師長、豊島由峰主任 右から若松良二先生、星野さん、今泉俊子師長、豊島由峰主任

仕事とバッグ交換をうまく調整趣味のゴルフも楽しみます

PDを始めてからは無理はしないようにしているそうですが、それでも、旅館の仕事は忙しく、朝6時に起床して、食事の準備や片づけ、グラウンドやスキー場までの送迎、また、雪の季節には雪かきも欠かせません。その合間の時間をうまくバッグ交換に充て治療と仕事の両立を実現しています。たとえば、宿泊客の夕食時間は、ゆっくりバッグ交換ができる時間です。「PD導入前と比べて規則正しい生活を送るようになりました。お酒も飲まなくなりましたね」と笑顔で語る星野さん。塩分を控えめにし、肉類も摂り過ぎないようにするなど、自然に食生活にも気を配るようになったそうです。

星野さんの趣味はゴルフ。「この辺りはコースもいろいろあるし、周りもゴルフ好きな人が多いので」と、仕事の合間のゴルフライフを楽しんでいます。透析液を車に積んで、家族揃っての旅行にも出かけるそうです。

PD導入から5年が過ぎ、そろそろHDへの移行も検討している星野さん。「PDを選択した時も最初は不安でしたが、これまで大きな問題なく過ごしてくることができました。PDを選んで良かったと今は実感しています。HDへ移行して生活が変わることへの不安はありますが、家族と協力しながら、これからも長く仕事を続けていきたいですね」と力強く語ってくださいました。

病院スタッフからのメッセージ

西片貝クリニック 院長 若松 良二 先生

腹膜透析を行っていく上では、自己管理がとても大切です。星野さんの場合は疾患や治療に対する理解があり、自己管理も良いため、腹膜炎や出口部感染などのトラブルもなく、順調に経過してきました。それでも食事や時間の制限のある中で、これを長く続けることはストレスも多いと思います。患者さんを技術面、精神面でサポートすることが我々スタッフの役割であり、腹膜透析を選んで良かったと言ってもらえることが喜びです。

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