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患者の達人

2015年スマイル冬号
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。

ソフトボールのシーズン中は
土日もほとんど
休みがありません!

患者の達人

宝田 重信さん(64歳)

PD歴:5ヵ月
黒部市民病院

スポーツが大好きな宝田重信さんは、医師から透析を告げられたとき迷わずPDを選びました。ソフトボール公認審判員の資格を持ち、PD導入後も毎週のように元気に試合で球審を務めています。

仕事はもちろん、ソフトボール審判としても精力的に活動

宝田さんは、奥様と義理のご両親、息子さんご一家の三世帯で暮らしています。昨年、お孫さんが生まれてからはますます賑やかになりました。大手建材メーカーで長年、生産管理や企画の仕事に携わってきた宝田さん。定年後は同じ会社の人材教育室で、定年間近の社員をサポートする仕事に就いています。また、訪問客の工場見学の案内役を頼まれることも多いそうです。「お客様に安心、安全を知っていただくことが大事だと思っています。そして一期一会ですから、マニュアル通りでなく、楽しんでいただけるように工夫しています」。豊富な経験や知識を生かした宝田さんならではのご案内は訪問客の興味を惹きつけています。

仕事に精力的に取り組む一方、趣味も充実しています。ゴルフ、登山、ビーチボールなど多くのスポーツを経験し、近年、特に力を入れているのはソフトボールの審判です。もとは選手でしたが3年前に第1種公認審判員の資格を取得。入善町ソフトボール協会の審判長も務め、小学生から一般の試合まで、「3~10月の土日は、試合でほとんど家にいない」というほど忙しい日々ですが、「球審をしていると自分がゲームを運んでいるように感じて面白いですね」と楽しそうに、日焼けした腕を見せてくださいました。

左から渡辺先生、一島師長、草切主査、宝田さん、吉本先生、藤岡主任、道中主任 左から渡辺先生、一島師長、草切主査、宝田さん、吉本先生、藤岡主任、道中主任

PD導入後は毎日をより楽しめるようになった

アクティブな日々を過ごしてきた宝田さんが、腎臓の異変に気づいたのは47歳のとき。健康診断でタンパク尿と血尿を指摘されましたが、仕事も忙しく、しばらくは放っておいたそうです。会社の指示で受診したところ、IgA腎症と診断されました。「55歳くらいで透析になる可能性がある」と告げられ、少しでも遅らせようと血圧のコントロールに努めます。塩分を控え、薬もきちんと服用して良い数値を維持してきました。しかし、病状はゆっくりと悪化し、63歳となった昨年、とうとう医師から透析導入を促されました。「覚悟はしていましたが、やはりショックでした。でも、食欲不振で体重も10kgくらい減っていたので、透析で体調が良くなるならという気持ちでした」と振り返ります。

仕事や趣味を続けるため、以前から「腹膜透析(PD)にしようと決めていた」という宝田さん。仕事のことも考え、夜間に行うAPDを選択しました。当時は「退院しても『治った』わけじゃなく、治療の開始ですから、悶々とする気持ちはありましたよ」と複雑な心境だったそうです。それでも、PDを開始すると、ひどかった立ちくらみがなくなり、食欲も出て、仕事も従来通りの勤務を継続。「仕事で歩き回ることも多いですが、体調は全く問題ありません。体のつらさがなくなって、仕事も趣味もより楽しみながら取り組めるようになりました」と笑顔で話します。

来年3月で仕事を引退する宝田さん、次に始めたい趣味は料理だそうです。「もともと好きですし、体調管理にもなりますよね」。ほかにも、畑での野菜作りや登山の再開など、挑戦したいことがたくさんあると話す宝田さんのいきいきとした表情がとても印象的でした。

病院スタッフからのメッセージ

黒部市民病院 腎臓内科部長 腎センター所長 リウマチ科医長 吉本 敬一 先生

宝田さんは導入前のカウンセリングのときから、PDが適している方だと思っていました。透析を始めると人生目標を失う方も多い中、透析前と変わらずに前向きで積極的な人生を送っていらっしゃいます。今後もPDを続けながら、趣味や仕事を楽しんでほしいですね。

腎センター主査 草切 幸 看護師

当院では、透析療法の選択に、患者さんご自身に積極的に関わっていただいています。宝田さんも腎臓やPDについてよく勉強され、すべてご自分の意志で選択されました。私たちPDチームが、これからも宝田さんのPDライフをしっかり支えていきたいと思っています。

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